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風水

『卑弥呼の墓-神々のイデオロギーが古代史を解き明かす』(戸矢学著、AA出版)を読みました。例の、2回買ってしまった本です(^_^;)

帯に「邪馬台国論争に『古神道×道教』の斬新な視点から答を出す」とあります。1996年に出版されたこの本から、最新の『ツクヨミ』まで、著者は一貫してこの立場から論じています。

ただし、歴史の中で神道にも道教にもいろいろなものが加わったため(特に仏教)、その部分を排除することが試みられています。著者が神職としての位階をもっているためにできることかと思います。

で、結論から言ってしまうと、卑弥呼=ひめみこ、姫神=宇佐神宮の御祭神、ということだそうです。

宇佐神宮は、数ある八幡神社の総本宮で、現在では応神天皇、神宮皇后、姫神が祀られています。著者は、ちょっと不自然な配置がどのような考えで生まれてきたかをみていき、もともとは姫神一神がまつられいたとしています。

そして、タイトルの『卑弥呼の墓』は、宇佐神宮ではないか、と。

神社がパワースポットにある、とは現在では常識になりつつあると思います。決して神社だからパワースポット、なわけではないです。また、災害による被害の少ない場所でもあります。

で、こういう場所をどうやって選定したか。著者はこれに風水が用いられた、としています。もっとも「風水」という言葉自体は新しい俗称らしいですけど。

この風水が、本国と言われる中国で体系的に成立したのは、10世紀前後と言われ、一般に浸透するようになったのは12世紀頃だそうです。(この部分、『風水先生』荒俣宏著参照)

しかし日本では、すでに藤原京(698年完成)造営に、風水思想が取り入れられています。そして、これを計画したのが天武(686年没)。

さらに著者は、より古い風水の実行として、古い神社の位置選定をとりあげています。引用すると「風水の原形である原始道教が、聖地・霊山発見の法をもっていたのではないか」と。卑弥呼もそういう方法を知っていたのでは、と。

う~んトリリハダ(^_^;)

何となく、風水に関しては、日本の方が古いのではないかと思っていたことが、やっぱりもしかして、と思えました。

私が思うに、古い聖地発見法(うつくしくない名前だ)は、経験則だったのではないかとおもいます。現在の風水のように、こうなっている場所がいいよ、という理論が先にあったわけではく、よき場所をえらんでいくうちに、それらの場所の共通項に気がついていき、それが口伝として伝えられていったのではないでしょうか。口伝は言葉がない時代の唯一の未来への伝達方法、といったものではなくて、正しくその方法を使い、見極められるものを選出する方法でもあったと思います。

それが、時代の変遷とともにやってくる人々、その人々がもってくるもの、技術、思想といっしょになっていき、京や古墳を作ったり、怨霊をうみだしたりした・・・(^_^;)

本に話題を戻すと、著者は偉大な王の墓は、もともとは霊山だったのではないか、と言っています。だから、宇佐神宮のある小椋山が卑弥呼の墓ではないか、と。この「おぐら」という文字も、もともとは「御座」つまり磐座だと言っています。つまり、磐座のある霊山は皆、墓ではないかと。

さらに時代が下ると、霊山を作って墓にする=古墳の造営がされた、と。なんで古墳が霊山かというと、そこで前代の支配者から、次の支配者がエネルギーを受け継ぐ儀式をしたのではないか。その儀式が、もともとの大嘗祭だった・・・

ちょっと気になったのは、三輪山も墓ではないか、とのこと。御祭神の大物主命は、いろいろな別名をもっていますが、これは時代時代でいろいろな神を習合していったためではないか。三つ鳥居は、もともと祀られているものを密かに示しているのではないか・・・

・・・・ふぅ(^_^;)

なかなか示唆に富んだ本でした。以前購入して読めなかった理由がわかる気もします。そして、私は一度読んだ本は二度読むことがほとんどないので(新しもの好き!^^;)、今読まなければいけなかったし、わからなかったでしょう。

・・・・そういうことにしておきます(-_-;)

この著者の本、あと1冊もっています『陰陽道とは何か-日本史を呪縛する神秘の原理』(PHP新書)です。いつも思うんですが、小説でも何でも、面白い読み物を「あと××しかない」と思うと、もったいなくて読めなくなっちゃうんです。でも、これを読んでおかないと・・・

ああ、もうちょっとしかないのに(>_<)←ケチ!\(~o~)

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